9月になってラッキーな追い風が吹いてくる。イギリス、アメリカで読書離れした子供達が、「ハリー・ポッター」に群がる話や、魔法の世界の出来事が、「アエラ」や「NEWSWEEK」のカラー写真で掲載されたのだ。
これをカラーコピーして、新たにプレスリリースを作りマスコミに送る。いよいよ書店への売り込みだ。行動する人間も少なく、時間も迫っているので大手書店に絞り、然も社長、役員さんとか本部長に直接アポイントしてトップダウン方式で、セールスを始めた。10月までにチェーン全体の部数の取り纏めをお願いする。
同時点で、静山社が取引していたトーハン、日販、大阪屋以外の取次、栗田出版、中央社、太洋社、協和出版、鈴木書店から新規取引の申し出を受けて口座開設する。
10月末、各書店から部数の申し込みが集る。10法人で1万3000部余りの部数になる。これには我ながら驚いた。
11月初旬、取次各社との取扱い部数の交渉に入る。トーハン、日販の仕入係長も書店から纏めた部数を話すと驚いていた。書店の裏付けのない部数交渉だと多分5000部前後で決められると思われる所、取次8社合計で2万7000部で決定する。日販の関本栄吉仕入係長からはその上に、部数申し込みのチラシを作るように依頼され、作り方の指示まで受けて他社のサンプルまでもらった。
いよいよ発売が迫ってくる。私は松岡さんに11月中には、発売直前なのでどんな事態が生ずるかわからない。国際会議の通訳の仕事があっても行かないように頼んだが、彼女はそれを振り切って出掛けた。この神経の太さにはビックリ。発売日が近づくと誰しも不安な気持が募るのだが、結局帰国したのが、11月26日、発売日の僅か4日前である。後にもこんな状態が何度かあったことから考えると、松岡さんの観念の中では、世界中どこに居ても隔りを感じていないことだ。外国に居る松岡さんとFAXしたり、メールや電話をしていると地球が小さく感じられる。
12月1日『ハリー・ポッターと賢者の石』は船出した。初版3万部、12月末には27万5000部に達した。大きな広告もしないで、パブリシティの効果で魔法をかけられた。あれから2年、’02年1月に、1,2,3巻合計で1000万部を突破した。出版の記録に挑戦している。大勢の人脈がこのピラミッドの礎石になったことは間違いない。