代表取締役 豊田 哲

 熱い夏休みに入った7月23日(木)午前5時より、「ハリー・ポッター」シリーズ最終の第7巻『ハリー・ポッターと死の秘宝』が、全国各地の書店店頭をはじめ、販売網から一斉に発売されました。
 ‘99年12月1日の第1巻『ハリー・ポッターと賢者の石』の発売から約10年、この間、静山社を始めとする関係者と読者の皆さんの間にも恙がなく、最終巻が完了しお手許に届けることが出来たことに感謝いたします。
 10年間の歩みを(有)ブックストラテジーサービスの立場で、マスコミに報道された数々の事象を転載させて頂きます。(’08.8.18)

第1回 ピラミッドを築いた人脈

■静山社の松岡佑子さんと出会う

 ミレニアムをカウントダウンする’99年は、私にとって忘れることの出来ない年になった。新年もまだ浅い2月17日、飯田橋の芳進堂ラムラ店店長武藤浩平氏から、静山社の松岡佑子さんを紹介される。大きなバッグを重そうに抱えた彼女と打合せのための食事に向かった。自信をみなぎらせて歩く姿は印象的だった。これが一大プロジェクトの端緒になったのだった。バッグの中に詰め込まれていたのは、最近イギリスと、アメリカで発行された『ハリー・ポッターと賢者の石』と『ハリー・ポッターと秘密の部屋』という本で、今世界中で話題になっていることを話し出した。


'99.11.30 静山社にて ~発売前夜 松岡社長と第1巻を手にして~

 松岡さんは、この本との出合いと、自分の情熱を訴え続けた版権の交渉の経過、すでに交渉していた他の出版社を超えて、イギリスの出版社ブルームズベリー社と、著者J・Kローリングの代理人から届いたメール「著者と話した。私たちはあなたに決めた。よろしく頼む」について熱っぽく語り出す。敬愛するご主人を失い、遺志をついで起ち上がる決心をして動き出した、最初の正念場である。長年培った国際会議通訳者としての誇りと、出版の世界を目指す姿勢と、交差する試練にどう対応するか、話す口調に願いが込められている様だった。私に対して、出版販売の仕事を手伝ってほしいと訴える。私は対応に困った。長年の出版界の経験の中で、外国で大きな成果を上げた本が、必ずしも日本で成功するとは限らないという事例が多く残されていることを知っているので。

 数日の猶予の後、辞退する積りでいたが、松岡さんの情熱を込めた催促の前に抗し切れず、引き受けることにした。さて、この仕事を成就する為に何から始めたら良いのか考え、頭の中でシュミレーションして見た。

一) 出版界に参入した松岡さんを、取次の幹部の方に紹介すること。
二) 身近にいて出版の手ほどきをしてくれる人、つまりプロジェクトチームを作ること。
三) パブリシティ工作についてのノウハウを教えてくれる新聞人と、出版人の中での協力者を得ること。
四) 書店人の中から相談に乗ってくれる人を探すこと。
五) ハリー・ポッターシリーズが、世界中でどんな売れ行きを示しているか具体的に調べること。などなど・・・。

 考えると際限のないことだが、一つずつ積み上げて行く方式を考えた。所詮、少人数で然も短時間で成果を見出して行かねばならない。この時点では、静山社は松岡さんの他には、木村康子さんがただ一人。とにかく行動あるのみ、松岡さんの方は、本来の通訳の仕事の合間に翻訳にも専念。私の方は、如何に注目される販売に持ち込むか腐心する。

■『ハリー・ポッターと賢者の石』売り込み開始

 静山社は3月下旬に、国際会議通訳者に必携の本『英日国際会議用語辞典』を出版した。その見本を持って二人で取次各社を廻り、松岡さんを幹部の方々に紹介した。そして近々に大きな本を出すと予告をした。ただ、余り親身になって聞いてもらえないのでガッカリ。並行して始めたことに、マスコミの活用術があった。紹介された中日新聞社広告局の織田健介氏に、プレスリリースの効用について聞いた。毎日新聞社広告部の土屋寛久氏には、パブリシティ工作を習った。文藝春秋の浅井淳氏と、新潮社の鈴木藤男氏からは、出版についての心構えや書店工作について教わった。ポプラ社の田中治男氏は親身になって児童書の手引をしてくれた。ダヴィンチ編集部の横里隆氏から、最近の出版界の動向について詳しく聞くことが出来た。

 書店人にも忘れ得ぬ人々は多い。平安堂の平野稔氏、長谷川書店の長谷川新太郎氏、仙台金港堂の藤原佐一郎氏、岩瀬書店の岩瀬太一氏、紀伊國屋書店福岡本店の土方貞男氏、岩崎信映氏・・・。松岡さんは、通訳の仕事で訪ねた各地で、暇を見付けては書店に挨拶に伺った。暖かくいろいろなアドバイスをしてくれた。都内の書店では、紀伊國屋書店の乙津宣男氏、八重洲ブックセンターの徳永巌氏、三省堂書店の亀井忠雄氏、ブックファースト渋谷店の隅山泰助氏、東京旭屋書店の大倉孝光氏、前述の芳進堂ラムラ店の武藤浩平氏などの方々から積極的に教えを受けた。

 トーハン総務人事部の鈴木光雄氏から推薦された書籍営業部の松木修一氏、広報室の加藤真由美さん、総務人事部の阿見信子さん、社内報担当の植村志保理さんがプロジェクトを組んでくれた。松岡さんを囲んで、定価、発売日、体裁など読者サイドに立って、率直な意見を交わす。阿見さん、植村さんには最終段階で編集の校正まで手伝ってもらうことになる。定価も決まり、発売日も12月1日としてクリスマスセールにぶつけることに決める。

 洋販の大倉光弘氏から、アメリカの「ハリー・ポッター」の売行を詳細に聞くことができた。「ニューヨークタイムズ」のブックランキングで、55週続いて1,2,3巻が連続でワン、ツー、スリーであることが判り意を強くした。


'99.12.1 第1巻発売日 ~ブックファースト渋谷店店頭にて~

■書店から予想以上の注文を受ける

 9月になってラッキーな追い風が吹いてくる。イギリス、アメリカで読書離れした子供達が、「ハリー・ポッター」に群がる話や、魔法の世界の出来事が、「アエラ」や「NEWSWEEK」のカラー写真で掲載されたのだ。

 これをカラーコピーして、新たにプレスリリースを作りマスコミに送る。いよいよ書店への売り込みだ。行動する人間も少なく、時間も迫っているので大手書店に絞り、然も社長、役員さんとか本部長に直接アポイントしてトップダウン方式で、セールスを始めた。10月までにチェーン全体の部数の取り纏めをお願いする。

 同時点で、静山社が取引していたトーハン、日販、大阪屋以外の取次、栗田出版、中央社、太洋社、協和出版、鈴木書店から新規取引の申し出を受けて口座開設する。

 10月末、各書店から部数の申し込みが集る。10法人で1万3000部余りの部数になる。これには我ながら驚いた。

 11月初旬、取次各社との取扱い部数の交渉に入る。トーハン、日販の仕入係長も書店から纏めた部数を話すと驚いていた。書店の裏付けのない部数交渉だと多分5000部前後で決められると思われる所、取次8社合計で2万7000部で決定する。日販の関本栄吉仕入係長からはその上に、部数申し込みのチラシを作るように依頼され、作り方の指示まで受けて他社のサンプルまでもらった。

 いよいよ発売が迫ってくる。私は松岡さんに11月中には、発売直前なのでどんな事態が生ずるかわからない。国際会議の通訳の仕事があっても行かないように頼んだが、彼女はそれを振り切って出掛けた。この神経の太さにはビックリ。発売日が近づくと誰しも不安な気持が募るのだが、結局帰国したのが、11月26日、発売日の僅か4日前である。後にもこんな状態が何度かあったことから考えると、松岡さんの観念の中では、世界中どこに居ても隔りを感じていないことだ。外国に居る松岡さんとFAXしたり、メールや電話をしていると地球が小さく感じられる。

 12月1日『ハリー・ポッターと賢者の石』は船出した。初版3万部、12月末には27万5000部に達した。大きな広告もしないで、パブリシティの効果で魔法をかけられた。あれから2年、’02年1月に、1,2,3巻合計で1000万部を突破した。出版の記録に挑戦している。大勢の人脈がこのピラミッドの礎石になったことは間違いない。


'00.1.11 丸善京都店にて ~藤坂店長と~

[ 寄稿 講談社 出版情報 2002年4月号より転載 / 08-08-18 ]
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・